2017年10月17日

アウラ


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フィルムで写真を撮ることありますか?と聞かれることがたまーにある。
使う機会はかなり少ないけれど僕はフィルムも大好きで
それについて考えるときにいつも柴田敏雄さんの言葉を思い出す。

小さいカメラだと簡単に何でも撮れてしまうので、三脚が必要な大型カメラを使用して、機動性をなくし、自分自身を不自由にしていく。特に8x10インチ判のカメラでは、使用できるレンズが3、4本しかない。限られた条件の中でものを作ることが、要らないものを淘汰していくのによいのではないかと思いました

展覧会カタログ
与えられた形象 辰野登恵子 柴田敏雄 2012 国立新美術館より


大型のカメラを使うことで生じる不自由さによって本当に必要なものが見えてくるという話だけれど
ここまでデジタルが普及し手軽に撮影ができる今ではフィルムを使うこと自体が、
ある種の「不便さ」と向き合うことを意味すると言ってよいと思う。
僕がフィルムも好きだと思うのは、写りがどうこうということではなくて、
この「不便さ」によって”要らないものを淘汰”してもらえるから、まさにその点だなぁと納得した。


ベルリン留学中、毎学期、各教科で課題として何らかの本を読まされ、
レポートを作り発表させられたのがすごく辛かったのだけど(当然全てドイツ語で)
課題だからこそ珍しくしっかり読んだ本に「アウラ」ということばがあった。
(ヴァルターベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」1936年)

技術の発展によって芸術作品の複製をたくさん作れるようになったことで、
オリジナル作品が持っていた「今」「ここ」にだけ存在する「一回性」が失われた、と。
(とんでもなくざっくりまとめてます)
これは1930年代に書かれたものなので、そこから比べると今の世の中なんて
複製できないものはないというくらいで、一回性なんてどこを探しても見つからない。
芸術に限らず世情として、利便性と引き換えに色々なものの尊さが薄まっている傾向はあるようにも思う。

ただ子供と過ごしていると自分が気づいていないだけで、「アウラ」というか「一回性」みたいなものが
実は目の前をどんどん通り過ぎていることを強く意識させられる。


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言うまでもなく彼らは毎日成長していて、
昨日できなかったことが今日には何の前触れもなく突然できるようになったりする。
そういうことが起きるたびにドキッとさせられ、
そうか今目の前にいるこの小僧はもう昨日一緒に過ごした小僧ではないんだ、と気づかされる。
彼らの好奇心と行動力、吸収力、エネルギーはもはや恐ろしい。

観たことはないのだけど「先に生まれただけの僕」というドラマの題名がすごく気に入っていて、
僕はまさに先に生まれただけであって、僕から経験と身体的アドバンテージを取り去ったら
この子に勝る部分や僕から教えられるようなことはあるんだろうか、いや絶対ないな、
と完全に白旗気分です。

写真のことを考えていたつもりが子供の話になってしまったのだけど、つまり、
利便性にごまかされず、本当は目の前に今でも転がっているその時々しかない一瞬をしっかり意識して過ごしたい、
そしてあわよくばそれを撮影できるようになりたいです、という話でした。


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posted by SUGI-NOTE at 02:06| Comment(0) | 日記
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